『 面 影 の 章 』




永遠に晴れることのない霧の湖に 桜の古木があります


桜の古木は 尽きることのない花を咲かせ 散らしています


桜の古木には 二つの魂が宿っています


一つは その桜を護り続ける 名も無き鬼
また
一つは その桜に身を吊った 哀しき少女


鬼の愛した少女 鬼を愛した少女

今宵も かの二つの魂は 遠き昔の夢を 悲しき始まりの夢を見ています








 遠き昔 この世の者で亡き者達の生きていた時代。
 時は平安、今上の政 、正道にて、百鬼夜行と呼ばれし都に美しい少女がいた。
 蘇芳大納言の四の姫−山吹の君であった。
 かの姫はこの上なく美しく、心根も優しく、聡明で、音楽のたしなみも深かった。
 朧に霞む月を眺めながら哀しげな吐息を洩らす、美しい姫君は先の東宮に后宮として入内することになっていたほどの、たおやかな姫である。
「姫君・・・・?、山吹の君」
 幼いころからずっと側近くに仕えていた女房の左近が姫を気遣うように語りかけてきた。
 先の東宮の突然の崩御によって立ち消えになった入内以来、姫は屋敷の奥でひっそりと暮らしていた。美しさを伝え聞いて恋文を送る者も多かったが一度も返事をかかず、今の東宮への入内は父大納言が乗り気ではないらしく進んではいなかった。
「姫君、何をその様に思い詰めていらっしゃいますか?」
「あぁ、左近。何でもないわ・・・・そう言えば、もうすぐ重陽の節句ね」
 重陽の節句とは、長月の9日に行われ、菊の露に濡れた綿で身をぬぐい、菊を浸したお酒を飲んで、長寿を祈る祝い事である。
「はい、きっと華やかな宴が開かれることでしょう」
 左近は、嬉しげに微笑んだ。
 いつも何かを思い詰め、屋敷の奥でひっそりと暮らす姫に、宴は良い気晴らしになると思ったのだった。
「私は、あまりあの様な宴は好きではないのだけど・・・・」
 しかし、かの姫はそう言って溜息をつくのだった。
「まこと、姫君は静かな時をお好みになられます。ですが姫君、その様なことではいけません」
「左近、でも本当に私は・・・・・ !?」
「どうなさいました?」
 話の途中で外を振り向いた姫に、左近は問いかけた。
「笛の音が聞こえたような気がしたんだけれど・・」
「笛の音でございますか?」
 姫の言う通り遠くの方から、笛の音が聞こえてきたのだった。
 笛の音は清らかに澄んで、まるで朧に霞む月がせめてその美しい光をそのまま音にしたような響きだった。
 その音色は、誰かに聞かそうとしている訳ではない様に思われるのに、どこか奥ゆかしく控えめに人の胸の内にしっかりとしみ通るような、確かな調べをもっていた。
 そうして、二人はその笛の音が聞こえなくなるまで、動きを止めて聴き入ってしまった。
「まことに、美しい音色でございましたこと・・・・」
 笛の音が聞こえなくなっても、しばらく動きを止めていた二人でしたが、左近がその呟き姫の顔を見ました。
「あの様な音色をお出しになることができるのは、一体、どこのどなたでしょう?」
「本当に・・・・」
 朧に霞む月の夜と不思議な笛の音に、姫はそっと懐にあるのものに手を添えた。
 そこには、小さな土鈴があった。

―― どうして、あの笛の音はあの者の面影を思い出させるのだろうか?


*



 都の外れに、春は桜見物の遊山に、夏は避暑地に貴族たちが使う山がありました。
 その山の奥深くに、静かに水をたたえる湖がありました。
 そして、その淵には一本の桜の木がありました。
 春には、雪のような純白の花を咲かせるこの木も今は、山の木々と同じように紅葉の装いをし始めていた。
 その桜の木の下に、一人の男がいた。眠っているのか、木の幹に体を預け片膝を立てて座っていた。
 しかし、その表情は苦悶に満ちていた。



          ヌシ
『お助け下さい。主様』
 暗い暗闇の中から、痩せた子どもたちが男の方に手を伸ばしてきた。
『ちがう・・・、おれは主なんかじゃない!!』
 男が子どもたちの手をふりほどくと、子どもたちの姿は消え続いて疲れ果てた農夫たちが現れ、男に縋り付いてきた。
『雨を降らせて下さいませ』
『そんなことできない』
 次々と現れては消える人々の手をふりほどき、藻掻く男はゆるゆるを意識の混濁を始めた。
 現在か、過去か、何が何だか次第にわからなくなっていった。
『今日からお前はこの山の主になるのだ』
『恨むのなら、お前の母を恨め。神鎮めのために生まれた身でありながらお前の父と通じおったのだからな』
『おぬしの母が神鎮めの任を逃げよったから、御山様が天に帰られてしまったのじゃ』
『お前は、新しい御山様になるのだ。よいな』
 靄がかかって顔すらわからない男たちの声が聞こえ、記憶を繋ぐ細い糸が、一本また一本と切れたいった。
『神鎮め?』
『ここは何処なんだ?』
『母上の名は・・・・・?』
『では――。 おれの名は?』



『蘇芳の大納言の四の娘で山吹。 あなたの名前は?』
 不意に一人の少女の笑顔が、男の記憶の中に現れた。
 幼いながらも整えられた顔と、人を真っ直ぐ見て相手を包むような大きな黒曜石の様な瞳をした少女だった。
 男はその少女の面影を必死に心に留めた。すると、混濁した意識がゆっくりと元に戻り始め、霞んでいた記憶が見えてきた。
『母上の名は、確か・・・八重・・・・』
『神鎮めは・・・・、そうだ確か、おれの村で奉っていた山の主に捧げる・・・・生け贄のことだ』
 そう神鎮めとは、数年単位で神に供える生け贄のことでそれをもって、神に豊穣と平安を願うのだった。それが出来なければ山の主は天に帰ってしまう。
 そして、主を天に帰してしまった時には新たに主をつくるのだった。
 村を救うために男は新しい山の主になるべく、山に捧げられたのだった。
 人柱として・・・。


*



「あ・・・・・・・」
 そこで男は目を覚ました。
 風が吹いて、桜の木から一枚の葉が男の方に落ちました。が、落ち葉は男の肩をすり抜けて地面に落ちてしまった。
 男は、その様子をただ見つめていました。
「また救われたか・・・」
 男はそう呟くと上を見上げ、桜の枝に引かかっている物を見つめた。
 そこには、一つの小さな手鞠が引かかってた。
『あなたはこの桜の精?』
 目を閉じれば、手鞠の持ち主だったあの少女の面影が男に問いかけてきた。
 その面影を瞼の裏に焼きつけて、男は優雅に微笑んだ。
 さわ。
 さわ。
 風の音に似た微かな音と共に男は、ゆっくりとその身を異形へと転じた。
 乱れなく背を流れる絹糸の様な髪は白金の様な輝きをおび、瞳は朧月の黄金の炎を宿し、頭上には真珠色の硬質の角が二本、すらりと伸びていた。
 紅をさしたわけでないのに赤い唇に、口元には小さい牙が覗いていた。



「おれは・・・・、この桜に宿った愚かな鬼ですよ。山吹の君」


*



 朧月に照らされた都の大路を一人の男が歩いていた。
 背丈は高く、細身だが、鍛えられた身体は刀こそ下げていないが、武芸をしている者のそれだ。
 また、烏帽子は被っているが、髪が結うことも難しいほどに短いため落ちてくるのか、時折手で直しながら歩いていた。
「??」
 男は、不意に朧月の光に霞む大路を見まわした。
「妙だな?」
 男は首を捻り、もう一度辺りを見回した。
「盗賊でも、近くにいるのだろうか? それとも・・・・・」
 男はそう呟くと、片頬にわずかな笑みを浮かべ懐に手を入れた。
 そして、薄蘇芳色の水干の懐から古びた横笛を取り出した。
「今、巷で話題の羅生門に現れるという鬼でもいたかな?」
 男は、自分で言った言葉に対して片頬で微笑むと、その笛をゆるやかに吹き始めた。
 男は、その音色を誰かに聞かそうとしている訳ではなく、ただしっかりと確かな調べを笛で奏でた。
―― 今宵は、あの月に合う曲といくかな



 その音色は、蘇芳大納言の四の姫−山吹の君の住まう屋敷にも流れていった。







永遠に晴れることのない霧の湖に 桜の古木があります

桜の古木は 尽きることのない花を咲かせ 散らしています

桜の古木には 二つの魂が宿っています

一つは その桜を護り続ける 名も無き鬼
また一つは その桜に身を吊った 眠れし少女

鬼の愛した少女 鬼を愛した少女
今宵も かの二つの魂は 遠き昔の夢を 悲しき始まりの夢を見ています











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